特別寄稿

ちびくろ・さんぼが帰ってきた!
ちびくろ・さんぼ

 先ごろ幻の古典的名作絵本『ちびくろ・さんぼ』を復刊した。

 この本は、一九五三年に岩波書店から発売され、一九八八年に絶版になったが、岩波書店以外の版元から出版されたものも含め四十九点の『ちびくろ・サンボ』が発売されていた。その中で岩波書店版は、およそ一二○万部が売れ、子どもはもちろん多くの人々に読まれたベストセラーであった。

 どんなお話かというと、かわいい男の子「さんぼ」がジャングルでトラに出会い、何度も食べられそうになったとき、それぞれ機転をきかせ生き延びるというもの。最後には、お互いに喧嘩して木の周りをグルグルまわったトラ同士が溶けて、バターになってしまう。そのバターでお母さんにホットケーキを焼いてもらい、家族でたくさん食べたという楽しい空想の物語だ。

 しかし岩波書店は、ある団体からの「黒人差別である」という抗議に、当時、編集に携わった人々に相談することなくわずか四日間で絶版を決め、販売を中止してしまう。その主な理由は、登場人物の名称が差別的であるとの判断からである。多くの読者は「何故絶版になったのか」を理解できないまま、絵本を手に入れられなくなった。

  しかし、本当に「さんぼ」や、その父母の名前である「じゃんぼ」「まんぼ」は、差別的なのか?

 ここで『ちびくろ・さんぼ』の絵本が作られた経緯を見てみよう。著者のヘレン・バンナーマン(一八六二〜一九四六)は英国婦人で、医者である夫とともにインドに長い期間滞在していた。一八九八年、彼女がインド高原の避暑地に残してきた子どもたちに、インド人の男の子を主人公にした手作り絵本を送ったことがそもそもの始まりで、その翌年に出版されるや、英国をはじめ世界中で人気を博したのだ。「さんぼ」が差別的だとする人たちは、それがインド人の一般的な名前ではなく、「じゃんぼまんぼ」も"mumbo jumbo"(ちんぷんかんぷん)という表現につながるなどと主張する。だが、「さんぼ」という名前自体は、北インドやチベット地方ではよくあるもので、「優秀な よい」という意味であり、まさに窮地を切り抜けた男の子にふさわしい。お母さんの「まんぼ」は「豊かな たくさんの」、お父さんの「じゃんぼ」は「大世界 やさしい」という意味で、これもよく考えられた素敵な名前だ。

おかあさんの まんぼ

  フランク・ドビアスが描いたイラストレーションについても、インド人にしては顔が黒すぎると言われるが、大胆な色使いでデザイン化されているからこそ、読者に強い印象を残したのだ。彼の絵での復刊を望む声が多かったのもうなずけることだ。

 子どもの頃、読んでもらって大好きだった絵本を、自分の子どもにも読んでやりたい、与えたいという思いは、親としてごく自然なことだ。私が復刊を出版事業の大きな柱にしているのは、何らかの理由で絶版になった児童書を見直し、後世の子どもたちに残す価値のあるものを復活させることに意義を感じるからである。表現の自由や出版の自由が守られ、本が存在する状態で論議されてこそ、絵本に描かれた人間の本質が見えてくると思う。

 もちろん、『ちびくろ・さんぼ』絶版の背景には、世界的な黒人差別解消のうねりがあったことは了解している。もともとイギリス人がインド人をモデルにして書いた絵本が、世紀を超えて読まれたことで、現代アメリカにおけるアフリカ系黒人の解放運動に関連づけられてしまったきらいはあるだろう。それだけ深刻な黒人差別があることは確かだし、もちろん私としても、一日も早く人種差別はなくなってほしいと思っている。

 だが、岩波版の絶版からでも十七年がたって、社会状況も成熟したのではないか? いま世界のいろいろな分野で、黒人の活躍する姿を、数多く見るたびに感動こそすれ、差別的な感情をもつことはない。『ちびくろ・さんぼ』を読んだ多くの子どもたちが、その影響で黒人を差別するだろうか? もっと日本の子どもたちを信頼してもよいはずである。 

 今回、『ちびくろ・さんぼ』の復刊にいたるまでには紆余曲折があり、大変なエネルギーが必要だった。でも復刊を待ち望んでいる多くの声に支えられ、ようやく皆様の手に渡すことができたことを出版人として幸せに感じている。そして、よく議論もなされないままに「言葉狩り」が行われ、納得できない理由で本が消えることのない時代がくることを願っている。

瑞雲舎 井上 富雄

月刊文藝春秋
月刊文藝春秋 2005年6月号掲載